400年以上の歴史のある日本三大和牛

日本三大和牛(近江牛、松阪牛、神戸牛)の1つとされる、近江牛は肉用牛としての史実として残る歴史が400年と圧倒的に長く、江戸時代には、牛肉は薬用として食されていました。1687年、彦根藩において花木伝右衛門が、明の李時珍の著書「本草綱目」を参考に牛肉の味噌漬けを考案し、「反本丸(へんぽんがん)」と称したと伝えられています。

明治時代になって西洋文化の影響で牛肉食が始まるとともに近江牛の消費も拡大した。

1951年(昭和26年)に近江肉牛協会が設置され、近江牛ブランドが誕生しました。肉はきめ細かく、全体的に美しいサシがあり、口の中でとろける上質な脂が近江牛の特徴です。

近江牛の歴史

1590年(天正18年) 秀吉の小田原攻めのとき、高山右近が蒲生氏郷と細川忠興に牛肉を振る舞ったとされる史実が残っている
1855年(安政2年) 彦根魚屋町の勘治が、江戸の神田、両国、日本橋、四ツ谷で彦根牛肉の看板を掲げて開業したと伝えられている
1850年頃(嘉永年間) 尾張藩領であった蒲生郡内で藩士の指導により牛の肥育が開始された
1869年(明治2年) 蒲生郡苗村(現蒲生郡竜王町)の家畜商が陸路で17、8日かけて牛を追いながら東京に送り、多くの取引を行ったとの記録がある
1872年(明治5年) 竹中久次が生牛の東京出荷を開始
1883年(明治16年) 東京浅草で牛肉問屋「米久」を開業
1906年(大正3年) 東京上野公園で全国家畜博覧会が開催され、蒲生郡の牛が優等一位となる
1951年(昭和26年) 近江牛ブランドの確立を目的とする近江肉牛協会が発足した
1954年(昭和29年) 日本橋・白木屋で近江牛の大宣伝会が開催される
1966年(昭和41年) 株式会社「滋賀食肉地方卸売市場」が設立される
2007年(平成19年) 5月11日、地域団体商標に登録された[13]。また、同年、近江牛の生産者や流通事業者によって、「近江牛」生産・流通推進協議会が設立された

近江牛の特徴

肉はきめ柔らかく美味しい

「近江牛」は肉のきめが細かいのが特徴です。細かいほどお肉は柔らかくなります。

目減り、水引が少ない

目減りとは、輸送中に牛の体重が減少すること。※水引とは、枝肉になってから外気中に水分が蒸発して、枝肉量が減少すること。

美しいサシが消えない

サシとは、お肉と脂肪との入りまじりを言い、細かいサシが全体に入っています。

脂肪は特別の粘着力がある

良い脂肪とは、つやのある白色または淡クリーム色で適度に粘りのあるものです。

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